十界六度
大峰奥駈 http://www.kcn.ne.jp/netpress/omineokugake/part1.html
十界の修行を行うことによって人間的に一段と成長し、上求菩提下化衆生の思いに徹し、六波羅蜜の実践に適した人格を作り上げる。
1、地獄界……あらゆる苦しみに耐える行
地獄は耐え難い苦しみの世界である入峰修行の折、炎熱に汗を流して苦しみ、風雨、寒さを忍んでよく耐えることは、地獄道克服の行である。
2、餓鬼界……足るを知るの行
餓鬼は貧欲が飽くことがなく、しかも飢渇(空腹とかわき)に苦しむ。空腹を感じ、水に餓え、不平不満を云わず、粗食に甘んじるを知る事は餓鬼道克服の修行である。
3、蓄生界……労働の苦に耐えるの行
牛馬動物は重い荷物を負って苦役に使われた。入峰修行は重い荷物を担い急坂を登り、悪路を超えて苦労を厭わず行わねばならない。人生もまた苦しい試練を乗り越え、労働作業をいとわずに生きなければならない。即ち畜生道克服の修行である。
4、修羅界……精進の行
阿修羅は勇猛の神である。峰中道中の厳しさね寒さに乏しい食事にともすれば挫ける心を、勇猛心で克服する精進の行である。
5、人間界……懺悔反省の行
心の罪垢煩悩(ざいくぼんのう)を洗い清め、本有(もともと持っている仏性)心に生まれ変わるのが人間行である。悪を止め懺悔をし善を行うことである。「諸悪莫作 諸善奉行」即ち悪を止め善を行うのは仏教の根本を示す行である。「懺悔懺悔 六根清浄」と生きるところに人間の行がある。
6、天道界……よろこびの行
天は歓喜の世界である。山頂に登り眺めを楽しみ、導いていただいたよろこびに充ち、寿命の延びる思いをするのは天道の行である。
7、声聞(しょうもん)界……喜んで教えを聞く行
先達に従って法を聞き、仏道を理解することは声聞行に当たる。峰中の伝承や行事などを先達に聞いて通達するように努める。
8、縁覚(えんがく)界……沈思黙考の行
こうして人間が出来てくるとふとした機縁で悟ることがある。目からうろこが落ちるという。雲が動く、水が流れる、風が吹く、静かに沈思して大自然の中に身を置き、神仏と一体感を持つところに、人間界のせせこましい煩いから離れるのではないか。
9、菩薩界……奉仕の行
菩薩行は六波羅蜜の行とも云う。同行あい助け、現実には新客を導き、己を忘れて他を利する奉仕をするのである。これを上求菩提下化衆生(じょうぐぼだいげかしゅじょう)という。
10、仏界……感謝祈願の行
山中大自然の中に溶け込み、神仏と一つになる心となり、自然に仏性仏心がわき出て、有難うございましたという感謝の心を採灯大護摩供に託し、世界平和、浄仏国士を祈る感謝報恩の世界である。
十界の修行の中でも菩薩の六波羅蜜行というのが、最も大切な修行である。六波羅蜜は、六度ともいい、次の六つが身に付き、体得できたら彼の岸、即ち悟りの世界に渡るのである。波羅蜜とは到彼岸、完全な、絶対のという意味がある。
一、壇(だん) [布施]
波羅蜜(ばらみつ)
霊場、行場などで先達がその歴史や由来を語り、法話するのが「法施(ほうぜ)であり、空腹のもの、渇した者に食料を分け、水筒の水を飲ますのが「財施(物施)である。苦しんでいる物の荷を持ち、落ち込んでいる者に精神的な支えをするのが「無畏施(むいせ)」である。
二、尸羅(しら)
[持戒]波羅蜜(ばらみつ)
戒とは規則である。先達、師僧の指示を守り、礼儀作法を重んじ峰中の規律をまもり、正しい行動は戒を保つことである。日常生活でも大事なことである。
三、孱提(せんだい)
[忍辱] 波羅蜜(ばらみつ)
暑い、空腹、疲れたなど自分勝手だけを言っていては修行にならない。よく苦しさを耐え忍び、辛抱し譲りあって修行する(生きて行く)ところに忍辱(にんにく)の行がある。
四、琵梨耶(びりや)
[清進] 波羅蜜(ばらみつ)
勇気をもって善を行い、悪を絶ち切る心の作用を云い、これは精神を込めて努力するものであるる肉食しないことを清進というが贅沢を避け粗衣粗食をものともせず努力し、清浄な気分で修行に打ち込むところに清進の行がある。
五、禅那(ぜんな)
[禅定] 波羅蜜(ばらみつ)
心を一所に定め、散乱させないことを禅那という。入峰修行の時、断崖絶壁でよそ事を考えるだろうか。一心に仏を念じね心一つにしてこそ禅定である。
六、般若
[智恵] 波羅蜜(ばらみつ)
私欲や邪見、執着を離れると、正見(正しく物事を観察する)の智恵が働いて、人が本来持っている心(仏の慈悲心)を発揮できる。山は正見智を磨くのに適している。