過労死行政訴訟 被災者側勝利判例No.124

中央労基署・郡山海外赴任特別加入者クモ膜下出血死事件〔アメリカ電通事件〕

◆東京地裁平成13年5月30日判決
平7(行ウ等)293号 遺族補償給付等不支給処分取消請求認容〔確定〕

判示事項の要旨:

1 長期海外赴任者の東京出張中におけるくも膜下出血発症による死亡につき,発症前に従事していた業務(所定労働時間を大きく超える労働・休日出勤,発症前1年間に6回の海外出張,東京出張時の極度の睡眠不足・時差ボケによる赴任,滞在中の業務関係者との深夜までの多数回の会食等)がくも膜下出血の基礎疾患である脳動脈瘤を自然経過を超えて増悪させたとして,同発症の業務起因性が認められた例
2 労働基準監督署長による遺族補償給付および葬祭料の不支給処分が取り消された例


        判     決
原告 甲野 花子
同訴訟代理人弁護士 上柳 敏郎
同 岡村 親宜
同 望月浩一郎
同 井上 幸夫
被告 中央労働基準監督署長


同訴訟代理人弁護士
同指定代理人 仁科 宗友
同 金子 泰輔
同 森脇江津子
同 根本  実
同 今村 敏博
同 飛沢 明夫
同 相澤 信也

        主      文
1 被告が,労働者災害補償保険法に基づき,平成5年7月29日付けで原告に対してした遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。

        事実及び理由
第1 請求
 主文と同旨

第2 事案の概要
 本件は,株式会社電通(以下「電通」という。)に雇用され,米国にある子会社に出向中の甲野太郎(以下「太郎」という。)が,東京に出張中くも膜下出血を発症して死亡したのは,業務に起因するものである旨主張して,同人の奏である原告が,被告に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき,遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが,平成5年7月29日付けでこれらを支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を受けたため,その取消しを求めたものである。
 1 前提事実
   証拠(〈証拠略〉)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
  (1) 太郎(昭和16年4月9日生)は,昭和40年4月総合広告代理業を営む電通に雇用され,昭和49年2月,電通が昭和46年1月米国ニューヨーク市に設立した100パーセント出資の子会社であるデンツー・コーポレーション・オブ・アメリカに出向し,それ以降原告と共に現地に居住して,同会社のクリエイテブ(広告企画制作)業務に従事し,昭和61年にはクリエイテブ部門の責任者になった。
     同会社の商号は,昭和62年1月,デイー・シー・イー・アドバタイジングに変更されたが(以下,商号変更の前後にかかわりなく,同会社を「DCA」という。),太郎は,その後の昭和63年1月,それまでのクリエイテブ部門の責任者から,広告周辺におけるニュービジネスの開拓のための新設部門であるスペシャルプロジェクト部門の責任者に異動し,平成元年11月当時もその地位にあった(電通部長相当職・副理事)。
  (2) 太郎は,平成元年11月15日,同日から同月25日までの滞在予定で東京に出張し,その間,東京都中央区銀座5丁目所在の銀座東急ホテルを宿泊先としたが,同月25日朝,同ホテル客室内で死亡しているのが発見された。
     同日,束京都監察医務院監察医によって太郎に対する行政解剖が実施され,その結果,同人の死亡はくも膜下出血の発症(以下「本件発症」という。)によるもので,死亡時刻は同月24日午後10時00分ころと認められた(死亡当時48歳)。
  (3) 太郎の奏である原告は,本件発症が業務に起因するものであるとして,平戌2年2月28日,被告に対し,労災保険法に基づき,遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが,平成5年7月29日付けで本件処分を受けた。
     原告は,本件処分を不服として,同年8月31日,東京労働者災書補償保険審査官に対して審査請求をしたところ,同審査官は,平成8年10月22日付けで審査請求を棄却する旨の決定をした。

 2 争点
    本件発症の業務起因性

 3 当事者の主張の骨子
  (1) 原告
    ア 本件発症の原因等
     (ア) くも膜下出血の原因となる脳動脈瘤は,嚢状動脈瘤,紡錘状動脈瘤,解離性動脈瘤に分類されるが,一般に,くも膜下出血の90パーセント以上は,嚢状動脈痛の破裂によるものである。しかし,通常,嚢状動脈癌は,血管分岐部に発生し,嚢状の形態をとるものであるのに,太郎の動脈瘤は,左椎骨動脈に存在し,脳底動脈移行部よりかなり離れた中枢側で,しかも左後下小脳動脈よりも中枢側の,血管分岐部とは関係のない部位に位置しており,形態的にも,嚢状を呈していない。したがって,太郎の動脈痛は,その部位及び形状から見て嚢状動脈癌ではない。
         紡錘状動脈瘤は,高度のアテローム性動脈硬化患者によく見られるが,太郎の脳底動脈には軽度の硬化が認められただけで,高度のアテローム性動脈硬化が認められなかったこと,紡錘状動脈痛が破綻することがまれであること,などから考えて,紡錘状動脈瘤ではない。
         解離性動脈瘤は,脳動脈瘤としてはまれであるが,椎骨動脈に発生する脳動脈瘤に限定するならば,解離性動脈瘤が約30パーセント前後を占めていること,発症年齢は40歳代,50歳代にピークを認め,嚢状動脈瘤の患者に比べてやや若年発症で,男性に多く見られること,椎骨動脈の解離性動脈癌は破綻してくも膜下出血を来す確率が高いこと,などの特徴を有しており,これらの点からすると,太郎の動脈瘤は解離性動脈瘤と考えるのが自然である。
         したがって,本件発症の原因は,左椎骨動脈における解離性動脈瘤の破綻と見るのが正当である。
     (イ) 解離性動脈瘤の形成,破綻に至る機序
        a 解離性動脈瘤は,動脈壁が急激に拡張し,内膜に断裂が生じ,断裂部から血管壁内に血液が流入し
壁内の脆弱部を剥離しながら血腫を作ることにより形成される。この形成過程において,血圧の上昇や変動は,動脈壁に内月莫障害を起こし,また,修復機序を阻害する要因となる。そして,内膜断裂部から血管壁内に血液が流入することにより,血管壁の解離が進行し,解離腔が中膜と外膜との間に達すると,解離性動脈瘤が破綻し,くも膜下出血が発症する。
          この経過は比較的急速である。
          解離性動脈瘤の増大に関与する因子は,解離腔に流人する血液の血流動態と,血管壁,殊に,内弾性板と中膜の血管構築上の強度であり,このうち,血流動態を規定する要因は,血流と血管との関係に関する諸因子(内膜断裂の大きさや形状,解離血管部位,解剖学的走行等)と血行力学的圧力の主要な要素である血圧である。
        b 一般に,脳動脈瘤破裂に際して直接的な影響を有する因子は,動脈瘤壁の強度と内腔からの圧力であり,後者が前者を上回ることによって破裂準備状態にあった脳動脈瘤が破裂させられる。脳動脈瘤破裂の誘因として最も直接に作用するものは,脳動脈瘤に加わる血行力学的圧力であり,その重要な要素は全身血圧である。したがって,全身血圧を上昇させる労作や感情の興奮,また,疲労の蓄積や心身の消耗状態などの存在が脳動脈瘤破裂の強力な誘因となる。
          さらに,脳動脈瘤の破裂に至る経過は単純なものではなく,血管壁障害の脆弱化に括抗する修復過程が存在し,そこで重要な役割を果たしているのは休息─睡眠であり,血管壁に対する血圧の負荷が睡眠による血圧の低下によって軽減される。しかも,休息─睡眠は,単に血圧を低下させるのみではなく,活動時の交感神経系優位の状態から休息時の副交感神経系優位の状態へと自律神経系のバランスを変換させる作用をも有している。そして,血管壁の脆弱化を促進する種々の因子は,交感神経系優位の状態で亢進することが知られている。
   イ 本件発症と業務との関係
    (ア) 太郎は,本件発症当時,DCAのスペシャルプロジェクト部門の責任者として,年数回に及ぶ海外出張を含み,営業業務,クリエイテブ業務,管理業務等に従事していた。
        太郎の長時間労働は恒常化していたが,特に,本件発症に至った平成元年は,同社の累積赤字の解消のため,同年末までの大きな目標(ノルマ)が設定され,太郎は,その達成のために全力を尽くしており,本件発症前の約3か月間を見ても,労働時間はほぼ10時間ないし15時間に達していた。
        太郎は,平成元年11月14日,ニューヨークから東京に出張するに当たって,クライアントとの交渉,出張中の仕事の準備等の業務に追われ,極度に疲労していた上,移動中の飛行機内でも余り睡眠をとることができず,疲労困憊の状態であった。
        また,東京への出張において新規の受注ができないとスペシャルプロジェクト部門の縮小・解散を余儀なくされる状況にあり,その場合は太郎自身も退職する覚悟を有していた。
    (イ) 太郎は,同年11月15日からの東京出張中,多くの案件を抱え,打合せ,情報交換,人脈作り等のために,毎日夜遅くまで,取引先や電通関係者との間で,面談,電話連絡等の業務に従事し,一般的な海外駐在員の日本への出張と比較しても多忙を極めていた。
        この間,太郎は,同月21日には風邪気味だと言いながら水をがぶがぶと飲み,同月22日には「頭が痛い。」「頭がふわふわして飛んでいるような気分で,暑い暑い。」などと,同月23日にも「風邪気味で,頭痛がし,体調が悪い。」などと言い,遂に同月24日には連絡がとれない状況になった。
    (ウ) このように,太郎は,長期間にわたり連続して過重な労働に従事し,極度の疲労状態にあった上,束京への出張前の睡眠不足と緊張状態も加わり,血圧の著しい亢進や変動を誘発する状況になっていた。そして,東京出張の間も,長時間の業務を連続して行っていた上,出張の最終日である同月25日が差し迫り,精神的な負担が増加していたところ,太郎の解離性動脈瘤は,同月20日ころ急速に進展し,これに伴い頭痛を主とする症状が次第に重くなり,同月23日午後,初回の破綻を起こし,同月24日深夜ころ,致命的な大出血に至ったものである。
    (エ) 被告は,くも膜下出血の危険因子として,喫煙,肥満,加齢及び高血圧を挙げるが,喫煙及び肥満と脳疾患との関連性はなく,加齢よりも身体的・精神的負担の方が発症に強い影響を与えるものである。また,太郎が高血圧であったとは認められず,仮に高血圧であったとしても,発症の業務起因性を認めることの妨げになるものではない。
   ウ 結論
     以上のとおりであるから,本件発症は業務起因性を有するものである。

 (2)被告
   ア 本件発症の原因等
    (ア) くも膜下出血の原因としての脳動脈瘤を見ると,その90パーセントを占めるのは嚢状動脈瘤であるが,嚢状動脈瘤のうち85ないし90パーセントは,脳底部を走行する脳の主幹動脈で構成されるウイリス輪及びその近傍の脳動脈枝の分岐部に好発する。嚢状動脈瘤の発生要因としては,脳動脈分岐部中膜の部分的欠損という先天的要因に,加齢に伴う内弾性板の変成を伴う動脈硬化性変化と血行力学的要因という後天的要因が加わり,これらの諸要因相互の付加・競合作用によって嚢状動脈瘤が形成され,高血圧と加齢による動脈壁の脆弱化の進行等によって,長年の間に徐々に増大するものと考えられる。
        紡錘状動脈瘤は,動脈硬化を主因とするものであるが,我が国では頻度の少ない病態である。紡錘状動脈瘤は,アテローム性動脈硬化の増強によって,ウイリス輪の椎骨動脈及び脳底動脈にアテローム性動脈硬化斑が発生する一方で,線維組織により中膜の平滑筋が置換されるため,動脈壁が引き伸ばされて動脈腔が拡張され,この拡張が高度になることにより形成されるものであって,脳底動脈,内頚動脈の頭蓋内部分並びに中大脳動脈と前大脳動脈の主幹部にまれならず見られる。紡錘状動脈癌は,アテローム性動脈硬化の増強によって生じるものであるから,紡錘状動脈瘤の破裂によるくも膜下出血の発生要因として最も重要なものは,長年の間に徐々に進行するアテローム性動脈硬化の進行程度であるといえる。
        解離性動脈瘤は,内弾性板と中膜の間又は中膜と外膜の間が解離して,解離腔に血液が貯留するもので,その発生病理は未だ解明されていないが,動脈壁が経年的に脆弱化することによるものであり,この場合,動脈壁の脆弱化を促進するのが高血圧及び動脈硬化であることは,他の動脈瘤の場合と異ならない。
    (イ) くも膜下出血の危険因子
        くも膜下出血患者の既往症では,高血圧症が最も多く,一般的には高血圧はくも膜下出血の危険因子の一つとして挙げられている。血圧ないし血管内圧は,動脈瘤の発生及び増大に影響を及ぼすものであるが,日常生活上のすべての行動(起居,食事,排便・排尿,会話,走行,せき・くしゃみ,労働,スポーツ等)は,すべて一過性の血圧変動要因といってよい。
        慢性的飲酒習慣は,くも膜下出血の危険因子となり,長い間,大量にアルコールを飲み続けると,高血圧や動脈硬化を促進するとされている。喫煙は,血管を収縮させて血庄を上昇させ,くも膜下山血の原因となる動脈瘤破裂の危険を増大させることから,喫煙が結果としてくも膜下出血の危険因子となることが報告されている。さらに,くも膜下出血の原因となる動脈瘤は,長年の間に形成されるものであることから,遺伝的安岡による個人的素因,生活習慣も危険因子に挙げられる。加齢も,血管壁での動脈硬化を進行させ,動脈壁を脆弱化させるものであり,自然経過における危険国子となるものである。
        くも膜下出血は,睡眠中又は安静時に発症する症例が多く,特別な外的ストレスや身体行動等と無関係に発症する場合があるが,肉体的,精神的ストレスを受けた時に発症する場合もあり,外的ストレスの関与を否定することはできない。
    (ウ) 本件発症の原因等
        本件発症の原因は,剖検所見によれば,左椎骨動脈の紡錘状動脈瘤の破綻と判断するのが合理的である。
        そして,太郎は,肥満傾向,大動脈の中等度の粥状硬化,心肥大等が指摘されていることから,高血圧であった可能性が高い。また,太郎には,1日に20本程度の喫煙の習慣,水割りウイスキーを毎日3杯程度の飲酒の習慣があるところ,喫煙が動脈硬化を,飲酒が高血圧を,肥満がこの両方をそれぞれ促進させた可能性が認められる。
        仮に,原告主張のとおり,本件発症の原因が解離性動脈瘤の破綻であったとしても,解離性動脈瘤が,動脈壁が経年的に脆弱化して解離破綻に至るものであり,この脆弱化を促進するのが高血圧及び動脈硬化であることは,他の動脈瘤の場合と異ならない。
   イ 本件発症と業務との関係
    (ア) 本件発症当日(平成元年11月24日)の就労状況
        本件発症当日における太郎の行動は不明である。
        なお,当日において急激な著しい気象の変化は認められない。
    (イ) 平成元年11月15日から同月23日までの就労状況
        太郎の業務は,束京出張の間,ホテル内での資料作成,書類の整理等のほか,その多くがホテル内外での顧客等との面会に費されているが,業務日程を見ても,クリエイテブ関係の営業,企画を担当する国際ビジネスマンとして,また,責任ある立場の労働者として日常的業務の範囲内といえるものである。
        また,太郎の行った面談は,その多くが昼食時,夕食時等に会食とともに行われるものであり,かつ,その場所もレストラン,バー等が多く,個人的な付き合いの範囲で行われたものもあるから,これらすべての面談が,太郎の本来の業務であるとは認められない。さらに,太郎は,同月19日には叔母宅で休養している。
        このように見ると,太郎が,東京出張の間,特に過重な労働に就労したという事実,日常業務の枠外にある異常な出来事に遭遇したという事実は,いずれも見当たらない。
    (ウ) 平成元年11月14日以前の就労状況
        DCAにおける就業時間は,月曜日ないし金曜日の午前9時から午後5時まで(昼1時間の休憩)の週35時間であり,休Hは,土曜日,日曜日のほか,祝日(年9日),年3日のフローティング・ホリデーであった。太郎は,平成元年4月以降に,休日として勤務しなかった日数が月3日ないし8日程度あり,ある程度の休日が確保されていた。
        また,太郎は,本件発症前の1年間において,6回の海外出張をしており,その延べ日数は99日であるが,その行き先の大部分は太郎の生国である日本国であり,日本国への出張が特段不慣れな業務ということはできない。
        したがって,平成元年11月14日以前に,太郎が特に過重な業務に従事していたとはいえない。
   ウ 結論
     以上のとおり,本件発症前の24時間以内及び1週間以内のいずれをとっても,太郎が,通常の業務を著しく超える過重な業務に従事したり,日常業務の枠外にある異常な出来事に遭遇したことは認められないから,本件発症は,基礎疾患である私病の血管病変等に対して,業務外の長期間にわたる飲酒や喫煙等が悪影響を及ぼしたことによるものと見るのが合理的である。
     したがって,本件発症に業務起因性は認められない。

第3 当裁判所の判断
 1 太郎の業務内容
   前提事実,証拠(〈証拠略〉,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
  (1)ア 太郎は,DCAに出向後,スペシャルプロジェクト部門に異動するまでの間,主にクリエイテブ業務を担当し,併せて営業業務を担当していた。
    イ クリエイテブ業務は,広告の企画制作を内容とするが,広告の企画制作は,企画の立案,企画に基づく制作,メディアへの掲載の各段階を経由し,これらに伴い,顧客,デザイナー,プロダクション等の関係者との交渉,調整作業が行われる。まず,企画の立案は,アイデアを考案し,これをラフスケッチ,絵コンテ等に作成して,顧客に対してプレゼンテーションをするという過程を経る。顧客と契約が締結されると,次に,企画に基づく制作の過程に進むが,これは,制作会議等の打合せ,デザインの撮影,文案の決定,版下の作成,音入れ等の作業を経て,再度,顧客から確認を取ることによって行われ,しかる後,各種メディアへの掲載に至るものである。
      太郎は,DCAへの出向中,著名な広告の企画制作を多数手がけた実績を有する,椀めて経験豊富なクリエーター(広一苦企画制作者)であったことから,多くの広告関係者とつながりがあり,事前の予約なしに頻繁に事務所に訪れて来るイラストレ一夕ー,コピーライター,写真家等のアーティストとの面談に快く応じ,これらの者から作品の提示を受け,自らの企画制作に役立てていた。
    ウ 営業業務は,顧客から広告又はイベントの企画を受注するための業務であるが,新規の企画を受注するには,多くの顧客及びその候補者と様々な機会をとらえて交流し,その中で顧客らが求めているニーズを理解し,これに対応した企画を立案し,顧客らに対して企画を売り込む必要があった。そのため,太郎は,顧客,スポンサー等の関係者と多くの面談を重ねて,顧客候補者に対する売込みを行い,また,日本から来た顧客等に対する案内,接待を行ったが,これらの営業活動に従事するに当たっては飲酒を伴う会食をすることが有益であったため,結果的に飲酒する機会が多くなることになった。
    エ 太郎は,在ニューヨーク歴が15年9か月(本件発症時まで)の長期に及んでいたため,現地の日本人関係者の間では,国際ビジネスマンとしての知名度が高かった。このため,太郎は,電通から出向してくるDCAの社長が日本から来て3ないし5年で後任者と交替していたことなどの事情もあいまって,多くの顧客や同僚などから頼りにされて種々の相談を持ちかけられ,自己の担当業務以外の仕事に携わることも多く,それがまた,新たな取引の呼び込みにつながることも少なくなかった。
  (2) 太郎が昭和63年1月異動したスペシャルプロジェクト部門は,太郎のニューヨークでの広い人脈及び実績を生かすために,広告関係の新たな顧客と仕事の開拓を目的として,新設された部門であった。しかし,同部門には,責任者である太郎を含めて数名の従業員が配置されていたにすぎず,そのため,太郎は,クリエイテブ業務,営業業務,管理業務等の全般にわたって,同部門の業務を自ら直接に推進することを余儀なくされた。
  (3) ところが,昭和62年には,DCAの累積赤字が同年末で340万ドルに達するという業績不振に陥ったこともあって,スペシャルプロジェクト部門は,新設部門であったにもかかわらず,平成元年には,この1年間で期待された成果が上がらなければ閉鎖されるというおそれが生じた。
     このため,太郎は,閉鎖という展開になれば,これまでの自己の経歴からいっても,スペシャルプロジェクト部門の責任者としては,不本意ながら退職することもあり得るものと覚悟を決め,従前にも増して業績を上げることに全力を挙げることを考えた。なお,DCAは,平成元年,営業スタッフ1人当たりの年間売上高の目標を80万ドルとする営業目標を設定していたところ,これがただちに太郎個人のノルマとされる関係にはなかったが,スペシャルプロジェクト部門の責任者としての太郎には,このような営業目標の設定は,おのずから重い意味を持つものと感じられた。
  (4) 太郎は,以上のような思い詰めた気持で,同年11月15日からの東京出張に臨んだものであるが,本件発症当時,太郎が推進中であったクリエイテブ業務ないし営業業務の懸案事項のうち,主なものは,以下のとおりであり,その内容は多岐にわたっていた。すなわち,@ A社に関する件(A社ニューヨーク事務所のショールームに関するもの),A.B社に関する件(B社ヘイヤーモデル使用権に関するもの),C アールヌーボーに関する件(日本におけるアールヌーボー美術館建設,同作品集出版に関するもの),C「花と緑の博覧会」に関する件(平成2年開催予定の大阪万国博「花と緑の博覧会」に関するもの),D C社に関する件(C社「S」のキャンペーンに関するもの),E D社に関する件(D社ニューヨーク店の改装に関するもの),F E社に関する件(E社が買収した米国の化粧品会社ゾトスの営業展開に関するもの),G F社に関する件(ドイツの総合インテリア企業F社の日本進出に関するもの),H ミュージカルに関する件(米国のミュージカル(「赤い靴」,「将軍」,「ミケランジェロ」)の日本公演に関するもの),I 姉妹都市に関する件(ニューヨーク市と東京都間の姉妹都市結成30周年記念行事に関するもの),J G社に関する件(G社の米国における香水販売事業進出に関するもの),Kゴルフに関する件(内容は不明),などである。
     例えば,太郎は,前記Bの「花と緑の博覧会」(太郎の死後である平成2年4月から9月まで開催された。)の件では,全米植物協会に企画を持ち込み,その同意を得た後,電通とDCAの共同事業として実施するために,E社,A杜等の大手スポンサーとの折衝,米国連邦政府,カリフォルニア州政府等の出展に向けて,政i台関係者,農業関係相体等との交渉,米国でのPRキャンペーン実施への準備,経費予算の調整,電通との連絡交渉等の,多岐にわたる業務を推進していた。

 2 太郎の就労状況等
  (1) 概況
     証拠(〈証拠略〉,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,詳細につき不明な部分が少なくないものの,以下の事実が認められる。
    ア DCAでの勤務条件は,所定労働時間が,月曜日ないし金曜日の午前9時から午後5時まで,所定休憩時間が,午前12時から午後1時まで,所定休日が,土曜日,日曜日,米国の祝日(11日間)及び年に3日のフローティング・ホリデーであった。
    イ 太郎は,昭和49年2月にDCAに出向して以来,広告又はイベントの企画制作,顧客らとの面談,打合せ又は交渉等,社内での打合せ等の業務で,月曜日ないし金曜日は,夜遅く,時には翌日の午前中まで業務に従事することが度々あり,早く退社した際も,レストラン,バー等で,顧客又は取引先にしようとする者等との間で,飲食を兼ねた面談を行うなどして,夜遅い時間に帰宅しており,土曜日又は日曜日も,会社で業務に従事し,自宅にいる際も電話で打合せをすることが度々あった。
      そして,昭和63年1月にスペシャルプロジェクト部門に異動してからは,更に多忙になり,帰宅時間が遅くなり,休暇もほとんどとれない状況になった。
    ウ 太郎の平成元年5月以降の勤務状況は,次〈表1─編注〉のとおりであった。

表1

時 期 所定労働日数 実労働日数 休日数
平成元年5月 22日 26日 5日
同年6月 22日 27日 3日
同年7月 19日 26日 5日
同年8月 23日 23日 8日
同年9月 20日 22日 8日
同年10月 21日 23日 8日
同年11月 16日 20日 4日


    エ 本作発症前の1年間における太郎の海外出張は,次〈表2─編注〉のとおりであった。

表2

出張期間 日数 場所
昭和63年11月23日から12月16日まで 24日 東京
平成元年1月13日から同月20日まで 8日 東京
同年1月20日から同月25日まで 6日 ロンドン
同年4月21日から5月14日まで 24日 東京
同年6月14日から7月13日まで 30日 東京
同年9月24日から同月30日まで 7日 東京
同年11月15日から同月25日まで 11日 東京

       このうち,平成元年6月14日からの出張では,「花と緑の博覧会」の関係で,木靴垂邦政府が不参加との意思を表明したことから,太郎は,当初の同月25日までの予定を延長し,同政府との折衝交渉等の対応に当たった。また,海外出張前の約1週間−は,出張期間中の出張先及び会社での業務の準備をするために,通常より多忙となり,太郎の帰宅時間が翌日の午前2時又は3時ころになることが多く,出張当日は,朝早くから出張の荷物を準備していたことから,ほとんど睡眠時間を取れないことも2,3日あった。
  (2) 発症前約1か月間の状況
     証拠(〈証拠略〉,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,詳細につき不明な部分が少なくないものの,以下の事実が認められる。
     すなわち,
    @ 平成元年10月23日(月曜日)は,アールヌーボーに関する件で午後7時30分ころからH社との交渉があった。
    A 同月24日(火曜日)は,午前9時55分ころ出勤し,午前10時30分ころから秘書と打合せをした後,ゴルフに関する件で午後4時30分ころから交渉があり,午後7時ころ帰社した。
    B 同月25日(水曜日)は,午前11時ころ出勤し,A杜に関する件で午後7時30分ころからA社のYとソフィーで会食した。
    C 同月26日(木曜日)は,午前10時ころ出勤し,ゴルフに関する件で午後1時ころからRと交渉があり,午後7時ころ帰社した後,会議をした。
    D 同月27日(金曜日)は,午前9時30分ころ出勤し,A社に関する件で午後2時ころから関係者と交渉があり,アールヌーボーに関する件で午後7時30分ころからFとの交渉があり,その後,同人と共に,レストラン「セリナ」,同「ナミ」で会食をした。
    F 同月28日(土曜日)は,不明。
    G同月29日(日曜日)は,自宅で休息した。
    H 同月30日(月曜日)は,午前9時20分ころ出勤し,午前11時30分ころからTとの,午後5時ころからPとの,それぞれ交渉(内容不明)があり,その後,タンゴで会食をした。
    I 同月31日(火曜日)は,午前8時55分ころ出勤し,E社に関する件で午後0時ころからMとの交渉があり,午後2時ころから別の交渉(内容不明)があり,午後6時ころ帰社した。
    J同年11月1日(水曜日)は,A社に関する件で午前9時30分ころからAらとの交渉があり,午後1時ころにバークレーン・ホテルでの会合(内容不明)があり,午後4時ころからPとの交渉(内容不明)があり,午後7時30分ころ帰社した後,会議をした。
    K同月2日(木曜日)は,午前9時55分ころ出勤し,正午ころからWとの交渉(内容イく明)があり,アールヌーボーに関する件で,その後Fとの交渉があり,午後8時ころ帰社した後,会議をした。
    L同月3日(金曜日)は,E社に関する件で午前10時ころからMと,午後2時ころからT杜のHとの,それぞれ交渉(内容不明)があり,午後6時20分ころ帰社した後,会議をした。
    M 同月4日(土曜日)及び5日H(日曜日)は,不明。
    N 同月6日(月曜日)は,午前9時20分ころ出勤し,A杜に関する件で午前10時30分ころから,「花と緑の博覧会」に関する件で午後3時ころから,それぞれ交渉があり,午後7時30分ころ帰社した後,Pと会食をした。
    O同月7日(火曜日)は,午前8時45分ころ出勤し,午後7時40分ころ帰社した後,会議をした。
    P 同月8日(水曜日)は,午前10時ころからプリンストン大学卒業者の財界人のクラブでの会議(内容不明)に出席し,午後8時30分ころ帰社した。
    Q 同月9日(木曜日)は,A杜に関する件で午前9時ころから交渉があった。その後,午後1時ころからエンパイヤービルでTとの,午後4時ころからS及びCとの,それぞれ会合(内容不明)があり,午後7時30分ころ帰社した。
    R 同月10日(金曜日)は,午後2時ころからエンパイヤービルでの会合(内容不明)があり,午後4時ころからSとの会合(内容不明)があり,午後6時45分ころ帰社し,その後,第2金曜会に出席した。第2金曜会は,ニューヨークの日系企業に勤務する者が集まり,勉強会や相談等をするもので,太郎は,この会で顧客を探したり,仕事の依頼をしたりしていた。
    S 同月11日(土曜日)及び同月12日(日曜日)は,不明。
    21 同月13日(東京出張の前日)は,社外での会議(内容不明)の後,午前10時ころ出勤し,午前11時ころからPとの交渉(内容不明)があった。その後,原告と昼食を共にした後,午後5時30分ころからニューヨーク最新情報の件(内容不明)があった。
  (3)東京出張の前日及び出張中の状況
   前提事実,証拠(〈証拠略〉,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,詳細につき不明な部分が少なくないものの,以下の事実が認められる。
    ア 概況
      太郎は,平成元年11月15日から同月25日までの滞在予定で東京に出張し,出張中は,東京都中央区築地所在の電通に比較的近い場所にある銀座東急ホテルを宿泊先とし,段ボール2箱及びアタッシュケース1個に入れた業務関係の資料を同ホテルの客室に運び入れていた。この間における太郎の業務遂行の態様は,おおむね,電通海外事業計画局に顔を出して各方面とアポイントメントを取りながら,同ホテルの内外でほぼ連日にわたって,しばしば夜間に至るまで顧客関係者との面談等を行い,その合間に,同ホテルの客室内で,企画書,資料等の作成作業を進めるというものであった。太郎の滞在中の同ホテルには,太郎が客室を留守にしている間も,面談の予定等の連絡に関する電話が合計20本程度入っていた。
      今回の東京出張中の太郎について,電通の関係者等は,多忙なスケジュールをこなしている,電通本社に毎日のように立ち寄り伝言を言いつける,ホテル内外で多数者との面談を短い時間でこなし,いつものようにゆっくりと話をする時間を確保することができない,という印象を受けている。
    イ 東京出張の前日(平成元年11月14日)の経過 太郎は,同日(米国時間)午前1時ころ,ニューヨーク市内にある居宅に帰宅して午前2時ころ就床したが,約3時間程度睡眠を取っただけで午前5時ころ起床し,出張のための荷物の準備をした後,午前10時ころ自宅を出て,ニューヨーク発午後0時30分(日本時間15日午前2時30分)の飛行機で東京に出発した。
      機内で,太郎は,通路側の座席に位置したが,それまでの睡眠不足を解消し,時差ボケを防ぐため,睡眠をとるように試みた。しかし,窓側に位置した隣席の乗客がしばしばトイレに行き,その度に起こされたため,思うように熟睡することができなかった。このため,太郎は,極度の睡眠不足と時差ボケの状態で,東京に赴くことになった。
    ウ 同月15日(水曜日)の経過
       太郎は,同日(日本時間)午後4時40分ころ,成田空港に到着し,午後7時17分ころ,銀座東急ホテルにチェックインした。
       太郎は,午後7時30分ころから午後8時54分ころまでの間,ホテル内のレストランで,電通プロモーション開発事業局スペース開発3部の小林政則部長(以下「小林部長」という。)と,「花と緑の博覧会」に関する件での,カリフオニア(ママ)州の出展にかかわる,協賛スポンサーの情報の交換,電通サイドとの意見調整等のため,氏事を兼ねた打合せをした。
    エ 同月16日(木曜日)の経過
     (ア) 太郎は,同日午前10時30分ころから夕刻まで,同ホテル内で資料の整理等をした。
     (イ) その後,太郎は,午後5時ころから午後6時ころまでの間,J社本社に赴き,同会社の0社長(K社の社長を兼務。以下「0社長」という。)と打合せをした。0社長は,仕事関係で太郎と長年にわたる交渉があったが,東京出張中の太郎に対しては,日本と米国のビジネススクールの提携,建設中のビル内における展示等について依頼をし,後記のとおり,同月20日及び21日の夜,同ホテル内のバーでも太郎と面談した。0社長は,後日,原告に対し,「僕が何度もせっついていろんなことを頼んで疲れさせてしまい,ごめん。」などと述べた。
     (ウ) O社長との打合せの後,太郎は,午後9時27分ころまで,同ホテル内のレストランで,株式会社LのK社長(以下「K社長」という。)と会食をし,さらに,午後9時30分ころから午後11時44分ころまで,同ホテル内のバーで,M社(以下「M社」という。)のA社長(以下「A社長」という。)及びK社長の2名と面談し,HことN杜(以下「N社」という。)のN社長が,途中からこれに加わった。
        面談の内容は,多方面の業務に関するものが含まれたが,K社長との間では,太郎が東京出張中に,来日するハワイの議員と「花と緑の博覧会」に閲する件で交渉するに当たり,K社長に通訳の手配を依頼していたことから,同議員に対する根回しの方法についての話合いが含まれていた。また,N社長及びA社長との関係では,N社は食肉関係の企業,M社は日本国内に約25,6店のレストランを展開する企業であるところ,太郎の紹介で,N杜が米国で生産する食肉を日本に輸入してM社に供給する企画についての話合いが含まれていた。
        なお,太郎は,K社長に対しては,ミュージカルに関する件や姉妹都市に関する件などで,交渉相手との橋渡しをするよう依頼していたので,ほぼ連日,電話で面談の予定等について連絡を取り合っていた。
    オ 同月17日(金曜口)の経過
     (ア) 太郎は,同日午前10時ころから午前12時ころまで,電通築地第一営業局の会議室で,同局の東一郎部長と,0杜米国の関係で打合せをした。太郎と同部長は,電通の同期入社であり,プライベートな付き合いもあったが,今回の東京出張の間は,太郎に時間的な余裕がなく,プライベートな会合を設定することができなかった。
     (イ) 次に,太郎は,午後3時3分ころから午後4時30分ころまで,電通のコンベンション業務室等で,天野次長等とイベント企画のプロモーションのための打合せをした。
     (ウ) その後,太郎は,午後5時ころから午後9時ころまで,77ギャラリーを経営する画商のE(以下「E」という。)と,アールヌーボーに関する件のほか,ピカソのカタログの関係で打合せをした後,さらに,画商のYを交えて,F社に関する件等について,3名で食事を兼ねた打合せをした。
        同日,太郎は,以上のほかにも,A社に関する件で企画中の展覧会(A社ニューヨーク事務所のショールームで行う予定のもの)への出展について,Eに協力を求めるなどした。
    カ 同月18日(土曜日)の経過
      太郎は,同日午前11時30分ころから午後0時30分ころまで,Sがデザインした着物をニューヨークで出展,販売する企画について,「Sキモノファッションスタジオ」及びP社の各関係者と,銀座東急ホテル内のレストランで打合せを兼ねた食事をした後,午後2時ころまで,P社の事務所で,同会社のT社長(以下「T社長」という。)と打合せをした。
      同日における,太郎のその後の動静は,不明である。
    キ 同月19日(日曜日)の経過
      太郎は,同日午前10時ころから銀座東急ホテルの客室内で資料の整理等をした後,午後3時ころ,神奈川県葉山にある叔母の居宅を訪れ,そのまま同宅に宿泊した。同日における太郎のそれ以外の動静は不明である。
    ク 同月20日(月曜日)の経過
     (ア) 太郎は,同日午前8時ころタクシーで叔母宅を出発し,JR横須賀線を利用して東京に戻り,午前11時ころ,銀座東急ホテル内で,Q社発行のデザイン雑誌「P」のH編集長と打合せをした。打合せの内容は,米国の有名デパートであるR社のJ副社長について同雑誌で特集記事を組む企画についてであった。
     (イ) その後,太郎は,午後3時ころから午後5時ころまで,電通海外クリエイテブ業務室長の米山進也と面談をしたが,これには,仕事の関係の話題のほか,個人的な関係の話題も含まれていた。
     (ウ) 次に,太郎は,午後5時ころから午後6時
30分ころまで,電通築地第一営業局内で東一郎部長と,0社のN宣伝副本部長を交えて,米国における関係情報の交換を行い,引き続き3名でレストランに行き,午後7時30分ころまで会食をした。その後,太郎は,午後11時ころまで,同副本部長が新築した居宅を訪問した。太郎は,同副本部長がニューヨークで勤務していた特から同副本部長と交渉があり,ニューヨークでは,同副本部長の依頼を′受けて,0社・ブランドの宣伝に関する業務に従事し,同副本部長が帰国した後も,東京出張の際には必ず面談していた。
     (エ) 太郎は,午後11時ころ,銀座東急ホテルに戻り,0社長からの「ホテル内のバーにいる。」との電話メッセージを見て,バーに赴き,翌日午前0時40分ころまで,ニューヨークでのイベントの投資の件等につき0社長と面談した。
    ケ 同月21日(火曜日)の経過
     (ア) 太郎は,同日午前10時ころから,G社に関する件で,G社のKと打合せをした。
     (イ) その後,太郎は,午後0時ころから午後2時ころまで,電通築地第三営業局の塩沢宏宣部長と,食事をはさんで,得意先であるE社に関する業務,日米での互いの仕事の状況など,公私を含めた情報交換をした(太郎は,東京出張中,同部長とのこのような会食を,当日を含め,合計3回行っている。)。
     (ウ) 引き続き,太郎は,午後2時ころから午後3時ころまでの間,電通海外事業計画局の浜地よし子参事と,今後の滞在予定等に関する話をした後,午後4時ころからA社長と打合せをし,午後7時ころから午後9時ころまで,A社ニューヨーク事務所のショールームで行う展覧会への出展の件について,Eと食事を兼ねて面談し,その後,ホテル内のバーで,0社長ほか1名と面談した。
     (エ) 太郎は,当日の午後,このほかにも,Sのニューヨーク出展等の件で,T社長と1時間ほど面談した。
    コ 同月22日(水曜日)の経過
     (ア) 太郎は,同日午前10時30分ころから午後0時ころまで,電通第4営業局の会議室で,滝次長,田勢参事と,A社に関する件で意見交換をした。
     (イ) その後,太郎は,午後2時ころから午後3時ころまで,77ギャラリーで前記出展の件についてEと面談した。
     (ウ) さらに,太郎は,午後5時ころから午後6時30分ころまで,Sのニューヨーク出展等の件で,T社長と打合せをした。
    サ 同月23日(木曜日)の経過
     (ア)太郎は,同日午後1時30分ころ,銀座東急ホテル内で,雑誌P編集長のHと前記特集記事の件で打合せをした。
     (イ)その後,太郎は,同日午後のうちに0社長と夕食を共にする約束をしていたが,体調が悪いことを理由に中止した。
    シ 同月24日(金曜日)の経過
      小林部長,0社長,K社長,塩沢部長らが,太郎が宿泊中の銀座東急ホテルの客室に電話をし,面談の予定を確認しようとしたが,連絡がとれなかった。
    ス 同月25日(土曜日)の経過
     (ア) 同日午前8時25分ころ,銀座東急ホテルの従業員が,太郎の客室に電話をかけたが,何の応答もないので,マスターキーを使用して客室内に入ると,太郎がベッドの横の床上に倒れていたので,救急車を手配し,京橋消防署及び築地警察署に連絡した。同日午前9時30分ころ,築地警察署員が現場に駆けつけると,倒れている太郎は,浴衣を着た状態であったが,着衣の乱れはなかった。
     (イ) 太郎の死亡に当たる同月24日の東京の気象状況は,天候は快晴又は晴,最高気温が17.4度,最低気温が8.3度であり,同月下旬の平均最高気温は16.1度,平均最低気温は7.6度であり,当日ころ著しい気象の変化はない。
    セ 行政解剖の結果
     (ア) 平成元年11月25日,東京都監察医務院監察医(木村寿子医師)によって,太郎の行政解剖(死体検案)が実施された。
     (イ) 行政解剖による剖検記録には,身長173センチメートル,体重81キログラム,心重量540グラム,死亡推定時刻同月24日午後10時00分ころ,直接死因膜下出血との記載があるほか,解剖の所見として,A くも膜下出血,@ 左椎骨動脈に0.6センチメートル長の紡錘状動脈癌の形成,A 動脈癌の破裂による欄漫性くも膜下出血,B 第3及び第4脳室内への2次的出血,B 動脈硬化症,@ 冠状動脈の軽度の粥化硬化症,A 大動脈の中等度の粥状硬化症,B 脳底部動脈の軽度の硬化,C その他,@ 肺の中等度の鬱血と水腫,A 小葉中心に大小脂肪滴浸潤を伴う肝の鬱血,B 牌の高度の鬱血,C 腎の鬱血,D 血液及び尿の薬毒物検査結果・陰性との記載がある。

 3 太郎の健康状態
   証拠(〈証拠略〉,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,詳細につき不明な部分が少なくないものの,以下の事実が認められる。
  (1) 東京出張前の状況
    ア 太郎は,昭和43年10月から昭和48年10月までの間に事業主による定期健康診断を受けていたが,血圧は,昭和44年10月の検査結果が最高122/最低76,昭和47年10月の検査結果が最高130/最低80であるなど,この間に,特にくも膜下出血の発症に関連するような診断結果は見られない。なお,太郎は,昭和49年以降,健康診断を受けていない。
    イ 太郎は,39歳時(昭和55年)ころに急性肝炎にかかって1か月間仕事を休んだ以外には,健康上の理由から仕事を休むようなことはなかったが,平成元年8月ごろから,頭痛を覚え,週1回程度は頭痛薬を服用するようになった。
  (2) 東京出張中の状況
    ア 太郎は,東京出張の初日である平成元年11月15日の午後7時30分ころ,顔色が土色をし,「頭痛がする。風邪を引いている。」などと話していたが,せきをするとか鼻水が出るとかの風邪らしい様子は見受けられなかった。
    イ 太郎は,同月20日午後8時ころ及び同月21日午後0時ころ,水やコーヒーを何杯も大量に飲むのが目撃された。
    ウ 太郎は,同月22日午後2時ころ,日焼けしたような異常な顔色をして,「風邪を引いたせいか,頭がふわふわして飛んでいるような気分で,暑い暑い。」などと話していたが,他の者が同人の額に手を当ててみても,体温に変化は認められなかった。
    エ 太郎は,同月23日午後1時30分ころ,「風邪を引いた。体調が悪い。」,「頭痛がひどい。」などと話し,夕方ころには,「風邪で4回吐いた。」などと話していた。
    オ 太郎の死亡が発見された後,銀座東急ホテルの客室内に残された同人のアタッシュケース内には,頭痛薬が4,5箱,封を引きちぎった状態で入っていた。
  (3)喫煙及び飲酒の状況
   太郎は,生前,1日約20本ないし25本程度の喫煙をし,ウイスキー1日3杯程度の飲酒をしていた。

 4 くも膜下出血の発生の機序及び本件発症の原因
  (1) くも膜下出血の発生の機序
     証拠(〈証拠略〉)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
    ア 脳血管疾患は,頭蓋内血管が何らかの原因によって破綻し,脳組織あるいはその周囲の組織内,すなわち頭蓋内に出血する出血性脳疾患と,脳組織を港流する血管が閉塞又は狭窄を起こして,脳組織への血流が減少又は消滅する虚血性脳血管疾患の2つに大別される。
    出血件脳血管疾患は,頭蓋内の出血部位によって,脳組織とくも膜の間に出血するくも膜下出血,脳組織の中に出血する脳出血,くも膜と硬膜の間に出血する硬膜下出血,硬膜と頭蓋骨との間に出血する硬膜上出血の4つに分類される。
    イ くも膜下出血の概要
     (ア) くも膜下出血とは,頭蓋内血管の破綻により,血液がくも膜下腔に流人して起こる病態をいう。
         くも膜下出血の原因疾患には,様々なものがあるが,脳動脈癌の破綻,脳動静脈奇形及び脳出血の脳室内への穿破の3つが主なものである。このうち,前2者を原因疾患とするくも膜下出血は,くも膜下腔に露出した血管が破綻して起こるものであり,原発性(特発性)くも膜下出血と呼ばれ,脳出血の脳室内への穿破によって起こるものは,続発性くも膜下出血と呼ばれている。
         くも膜下出血の原因のうち,最も多いのは脳動脈瘤の破綻であり,全体の半数以上を占めている。
         くも膜下出血は,前駆症状がなく突然に生じる場合が多いが,前駆症状として,頭痛,めまい,悪心,嘔吐,意識障害等の症状が見られる場合があり,特に突発性の激しい頭痛は,ほぼ全部の症例で認められる。
     (イ) くも膜下出血の危険因子としては,高血圧,飲酒,喫煙,加齢,肥満,ストレス(過度の肉体労働,精神的緊張の持続,興奮,不眠,親しい者との死別,離婚,失業,破産等による急性又は慢性の心身の負荷をいう。)等が挙げられている。
        高血圧は,多くの循環器疾患において第一の危険因子として挙げられるものであり,特に脳出血疾患では決定的な危険因子とされている。飲酒は,長期間大量にアルコールを摂取し続けると,高血圧を促進させるとされている。喫煙は,喫煙者におけるくも膜下出血の発症率が非喫煙者よりも高いという疫学的調査の結果に基づく報告があることから,くも膜下出血の危険因子とされている。加齢は,高血圧症及び動脈硬化の進行を促すものとされている。肥満は,高血圧と関連性はあるが,脳血管疾患の危険因子であるか否かは,評価は必ずしも一致しないとされている。ストレスは,高血圧及び動脈硬化の進行に何らかの影響を与えることはほとんどの者が承認するところであるが,ストレスの関与の有無とその程度については,具体的な症例に即して,現行の医学的知見に照らして総合的に判断せざるを得ないものとされている。
    ウ 脳動脈瘤の種類及び形成から破綻に至る過程
     (ア) 脳動脈瘤は,嚢状動脈瘤,紡錘状動脈瘤(動脈硬化性紡錘状動脈瘤),解離性動脈瘤等に分類される。
     (イ) 嚢状動脈瘤は,脳動脈分岐部の中膜の部分的欠損という先天的な安国と,加齢現象としての内弾件板の変件を伴う動脈硬化件変化と血行力学的要因という後天的な要因との相互作用により形成され,長年にわたる高血圧と加齢による動脈壁の脆弱化の進行等により増大していくものと考えられる。嚢状動脈瘤は,脳動脈瘤の全体の約90パーセントを占めており,そのうち,85ないし90パーセントは,ウィリス動脈輪の前部で発生し,前交通動脈,内頚動脈(特に後交通動脈の分岐部),中大脳動脈の第一分岐部などで多発し,発症年齢は,50歳代から60歳代ころが多いとされる。嚢状動脈瘤の破綻のきっかけとなる血圧上昇は,排便,前屈等の日常動作によって生じる一過性の高血圧であることが多いと考えられている。
     (ウ) 紡錘状動脈瘤は,動脈硬化を主因とするものであり,アテローム性動脈硬化の増強により椎骨動脈及び脳底動脈にアテローム性の動脈硬化斑が発生し,線椎組織により中膜の平滑筋が置換され,動脈壁が引き伸ばされて動脈内腔が拡張され,この拡張が高度になることにより形成されるものである。紡錘状動脈瘤は,内頚動脈の頭蓋内部分,椎骨動脈及び脳底動脈に多発し,椎骨動脈での発生年齢は,40歳代から50歳代ころが多いとされている。
     (エ) 解離性動脈瘤は,動脈壁に内膜断裂が生じ,断裂部から血管壁内(内弾性板と中膜の間又は中膜と外膜との間)に血液が流入し,壁内の脆弱部を剥離しながら,解離腔に血腫を作るものと考えられる。内膜断裂,動脈壁の解離,解離性動脈瘤の破綻に至る要因については,研究が開始されたのが1990年代に入ってからであり,医学的な定説は成立していないが,血管壁の脆弱化については,加齢,長年にわたる高血圧及び動脈硬化により進行し,血管壁に蓄積された病変の結果として,解離及び破綻が生じやすくなるものと推定されている。解離性動脈瘤は,椎骨動脈及び脳底動脈に多く発生し,発生年齢は,40歳代から50歳代ころが多いとされている。また,解離性動脈瘤が形成された後は,比較的急激に破綻に至るとされている。
  (2)本件発症の原因
    ア 医学的意見
      本件発症の原因に関する医学的意見は,次のとおりである。
     (ア) 小野寺良久医師
         本件発症の原因は,左椎骨動脈における動脈瘤の破裂であり,この動脈瘤の種類は,病理組織的な検査結果がなく確定はできないが,紡錘状動脈瘤であると考えられる。理由は,@ 紡錘状動脈瘤が,椎骨脳底動脈の動脈癌のうち約30パーセントを占めていること,A 紡錘状動脈痛が,男性に多く発症し,発症の平均年齢が45歳前後であること,C 紡錘状動脈癌の症例には,嚢状動脈痛が動脈の全局に広がったものもかなり含まれることである。
         解離性動脈瘤でなかった可能性は大きい。理由は,@ 上記動脈瘤の長さが短く,肉眼的に解離性動脈瘤を考えさせる所見が剖検記録に記載されていないこと,A 一般に,脳動脈における解離性動脈瘤形成の頻度が極めてまれであることである。
     (イ) 新宮正医師
        本件発症の原因は,左椎骨動脈における解離性動脈瘤の破裂と考えられる。その理由は,解離性動脈瘤が,@ 椎骨脳底動脈での動脈瘤の約30パーセントを占めていること,A 男性に多く発症し,発症年齢のピークが40歳代及び50歳代であること,B椎骨動脈の解離性動脈瘤が破裂するとくも膜下出血を来す確率が高いことである。
        動脈瘤の発生部位及び形状から見て,嚢状動脈瘤である可能性は小さく,また,太郎の脳底動脈に軽度の硬化のみが認められたことから,紡錘状動脈瘤である可能性も小さい。
     (ウ) 正和信英医師
        本件発症の原因となった左椎骨動脈における動脈瘤は,解離性動脈瘤であった可能性が最も高いが,紡錘状動脈瘤,椎骨動脈分枝を巻込む非定形的形状を呈する分岐部動脈瘤,先天的な動脈壁脆弱化による動脈瘤性拡張であった可能性も否定できない。
        解離性動脈癌であった可能性が高いとする理由
は,@ 解離性動脈瘤が,椎骨脳底動脈系に形成されやすいものであること,A 肉眼的に紡錘状動脈瘤と判別し難く,このことは特に急激な経過で解離破裂に及ぶ場合に当てはまることである。
        紡錘状動脈瘤である可能性が低いとする理由は,@ 椎骨動脈に形成される紡錘状動脈瘤が,相当な大きさになっても破裂し難く,くも膜下出血を来すものが少ないとされること,A 紡錘状動脈瘤が形成される症例では,脳底部の動脈硬化が全体に高度で,他の部位にも迂曲し,拡張する傾向を示しやすいが,太郎の剖検記録には,脳底部の動脈硬化が軽度である旨記載されていることである。
        本件では,臓器の脂肪化,大動脈の中等度粥状硬化,心肥大等の臓器所見によれば,高血圧や中等度の動脈硬化が存したことが認められるから,脳動脈の狭窄度が軽度であっても,中膜の壊死又は線維化による相当の動脈硬化があり(非拡張性動脈硬化),動脈破綻の準備状態にあったと推定するのが合理的である。
    イ 検討
      以上によれば,本件発症の原因は,左椎骨動脈における動脈瘤の破綻であり,動脈瘤の種類は,解離性動脈瘤又は紡錘状動脈瘤のどちらかであるが,病理組織学的な検査結果がないことから,そのいずれであるかを確定することはできないものと考えられる。
  (2)(ママ) 太郎におけるくも膜下出血の危険因子
    ア 太郎が高血圧であったことを示す血圧測定の結果はないが,太郎が,剖検時に身長が173センチメートル,体重が81キログラム,心重量が540グラムであったこと,大動脈に中等度の粥状硬化症が見られたことは,前記のとおりであり,これに証拠(〈証拠略〉)及び弁論の全趣旨を併せると,本件発症時の太郎には,高血圧が存在したものと認められるが,その程度・内容は明らかではないといわなければならない。
    イ 太郎は,本件発症時に48歳であったが,加齢が高血圧及び動脈硬化を促すものとされていること,紡錘状動脈瘤及び解離性動脈瘤が,いずれも高血圧及び動脈硬化により動脈壁が脆弱化することに起因して生じるもので,その好発年齢が,多少のずれはあるものの,いずれも40歳代から50歳代ころとされていることを考えると,本件発症の原因が,紡錘状動脈瘤の破綻,解離性動脈瘤の破綻のいずれであったとしても,太郎の年齢は,ある程度において,脳動脈瘤破綻によるくも膜下出血の危険因子になったものということができる。
    ウ 行政解剖時における太郎の身長は173センチメートル,体重は81キログラムであったことは,前記のとおりであるところ,これによれば,太郎は,やや肥満という程度であること,肥満と高血圧との関連性や脳血管疾患の危険国子としての評価が一定していないことを考えると,太郎における肥満の危険因子としての程度はさほど大きくはないということができる。

 5 本件発症の業務起因性
  (1) 労災保険法に基づく保険給付は,労働者の「業務上」の死亡について行われるが(同法7条1項1号),労働者が業務上死亡したといえるためには,業務と死亡との間に相当因果関係があることが必要である(最高裁第2小法廷日昭和51年11月12日判決・判例時報837号34頁参照)。前記4(1)の判示内容に照らすと,くも膜下出血は,基礎疾患である動脈瘤ないし血管病変が存在し,これが種々の危険因子の集積によって増悪し,発症に至るものであるが,ある業務に従事していた者の,業務とくも膜下出血の発症との間における相当因果関係を肯定するためには,当該業務が,基礎疾患である動脈瘤ないし血管病変を自然経過を超えて増悪させるに足りる程度の過重負荷になっていたものであることを要し,かつそれで足りるものと解するのが相当である。なぜなら,このような場合には,当該業務に内在する危険が現実化することによってくも膜下出血が発症したものと評価することができるからである。
  (2)ア そこで,本件について見てみると,太郎の就労状況の詳細には不明な部分が少なくないものの,太郎の就労時間は,従前から,所定労働時間を大きく超え,休日も就労することが少なくなく,昭和63年1月,スペシャルプロジェクト部門に異動してからは,この傾向は,更に強まっていたこと,太郎は,本件発症前の1年間で6回の海外出張をし,その日数も,うち3回は30日間,24日間,24日間と長期にわたり,うち1回は業務上の必要性から当初の予定を更に延長したものであったこと,平成元年11月15日からの東京出張に当たっては,極度の睡眠不足と時差ボケの状態で東京に赴いたが,東京出張の期間中は,同月19日(日曜日)午後と体調が悪化した同月23日午後とを除くと,長時間,多数回にわたって業務関係者と面談,会食等を繰り返し,夜間遅くの時間に及んだこともしばしばであったことは,前記認定のとおりである。そして,平成元年の1年間で期待された成果が上がらなければスペシャルプロジェクト部門が閉鎖されるというおそれがあり,設定された営業目標の下で,太郎が同年11月15日からの東京出張に対して思い詰めた気持で臨んでいたこともまた,前記認定のとおりである。
      以上のような太郎の就労状況,東京出張の経過等の事実関係に,くも膜下出血の発生機序等に関する前記認定の事実関係を併せ考えると,太郎が本件発症前に従事していた業務は,くも膜下出血の基礎疾患である解離性動脈瘤又は紡錘状動脈瘤を自然経過を超えて増悪させるに足りる程度の過重負荷になったものと認めることができる。
    イ ところで,太郎は,生前,1日約20本ないし25本程度の喫煙をし,ウイスキー1日3杯程度の飲酒をしていたことは,前記認定のとおりであるところ,被告は,本件発症は,基礎疾患である私病の血管病変等に対して,業務外の長期間にわたる飲酒や喫煙等が悪影響を及ぼしたことによるものと見るのが合理的である旨主張する。
      そこで,被告の主張について考えると,高血圧は,脳出血疾患では決定的な危険因子とされているところ,飲酒は,長期間大量にアルコールを摂取し続けると,高血圧を促進させるとされていること,喫煙は,喫煙者におけるくも膜下出血の発症率が非喫煙者よりも高いという疫学的調査の結果に基づく報告があることから,くも膜下出血の危険因子とされていることは,前記認定のとおりである。
      しかし,本件発症時の太郎には高血圧が存在していたことは事実であるものの,その程度・内容は明らかではないのであるから,太郎の飲酒が高血圧の促進を通じて本件発症にどの程度寄与したのかを判定することは困難といわざるを得ない。加えて,太郎は,営業活動に従事するに当たっては飲酒を伴う会食をすることが有益であったため,飲酒する機会が多くなることになったというのであるから,仮に,飲酒が本件発症にある程度は寄与したものとしても,これを,業務に内在する危険と無関係のものとは,必ずしもいい切れないものがある。また,太郎の喫煙がくも膜下出血の危険因子とされていることは上記のとおりであるが,それが,本件発症にどの程度寄与したのかを判定することもまた,前記認定の疫学的調査の結果だけでは,いまだ困難といわざるを得ない。
  (3) 以上によれば,太郎の業務と本件発症との間には相当因果関係があるものということができる。
      したがって,本件発症には業務起因性が認められるから,本件処分は違法なものとして,取消しを免れない。

 6 結論
   よって,原告の本訴請求は理由があるから認容することとし,主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結日 平成12年7月13日)
   東京地方裁判所民事第11部
            裁判長裁判官 福岡 右武
                裁判官 細川 二朗
       裁判官飯島健太郎は,転補のため,署名押印することができない。
            裁判長裁判官 福岡 右武
 

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