長い長い廊下の曲り角の少し手前で、一人の死神がこちらを背にして佇んでいた。

艶やかな闇色の髪が、そよ風に揺れていた。

 

 

【 彼が矜持、青空に似て 】

 

 

一角にはその後ろ姿だけで、それが自分の親友である十一番隊第五席・綾瀬川弓親だと分かった。

漆黒の髪を肩で切り揃えた御河童頭に、着痩せした中肉中背の身体、一角には良く分からない小洒落た襟巻き、どこか優美な立ち姿。

霊圧を知覚するまでもなく彼が弓親だと見分けられるのは、およそむさ苦しい極道紛いな連中が集まる十一番隊の中で、彼だけが妙に浮いているからだ。

なんといっても、御河童頭をしている人間など彼一人。

弓親に面と向かって『御河童頭』なぞと言おうものなら、言葉の使い方に雅が無いだの、センスが古いだの、3刻は小言を言われ続けるだろう。

弓親にすればこれは『ぼぶかっと』だとか『せみろんぐ』だとかいう、西洋風な言い回しでないと、野暮ったくていけないらしい。

一角としては、御河童は御河童だろうと思うのだが、生憎長い付き合いのため、そんな不用意な発言は最初の一回キリで慎んでいた。

単純だと思われがちな自分だが、最低限の学習能力はあるのだ。

口では勝てないと分かっている相手に負け戦を持ちかける気はさらさら無い。

男なら、やはり拳(こぶし)で勝負だ。

「おい弓親! ンなとこで何してんだ? サボリか〜?」

今日中に片付けなければいけない書類をごっそりと小脇に抱え、トコトコと隣に近寄ってみると、弓親はぼんやりと中庭を見つめていた。

「君と一緒にしないでよ」

一角の言い分に呆れたような顔で振り向くと、

「僕は一通り片したからね。今は休憩中」

と、サボリなんだかサボリじゃないんだか分からない微妙な答えを、飄々と返してきた。

「ただちょっと、池を見てただけだよ」

そこにあるのは、ここ何百年と変わる事のない、何の変哲もないただの池だ。

いつもは澄んで空を反射させる池の水は、少し濁って風に揺れており、それに釣られるように薄紅色の蓮の花もさわさわと動く。

『とりーとめんと』とやらに二刻も掛けているとかいう自慢の髪をさらりと掻き揚げて、弓親は嬉しそうに下方を指差した。

「早朝に、小雨が振っただろう?」

「ああ?」

人差し指の先には、きらきらと光る蓮の花。

良く分からずに疑問半分に頷けば、弓親はくすりと笑って説明した。

「今は晴れてるから、葉や花びらに付いた雨露が太陽の光に反射して綺麗だなって思ってね」

「あぁ」

今度は納得した上で先ほどと同じ言葉を発した一角に、弓親はにこりと笑った。

「雨の後の空気は気持ち良いね」

 

 

弓親はちょっと変わっていた。

いや、正直に、ストレートに言うなら、かなり変な男だ。

一角は常々、そう思う。

自分の所属する十一番隊の人間の中で、池に咲く花の美しさだの、小雨の雨露が光ってるだのと、周りの景色の風情に眼を写す者なんて、殆ど皆無と言って良い。

なのに、分からないのは、いつも独自の『美学』なるものを公言し、美しくないものは滅すべし!と堅く心に抱いているであろうこの男が、どうしてこんな『美しいもの』とは天と地ほどに縁遠い十一番隊に属しているのか、と言う事だ。

弓親ほどの実力なら(性格の善し悪しは別として、という条件付きだが)何処の隊でも引っ張りだこであろうに、彼はずっと十一番隊にいる。

それどころか、四席に昇格する気も、さらさらないようだった。

自分に与えられた『第五席』という官位を、非常に得難い官位であるかのように後生大事にしている。

それが一角には不思議で堪らない。

彼が見掛け以上に剛胆で豪傑であることを、一角は実感を持って知っているからだ。

優男風だが、負けん気だって人一倍有る。

なのに、彼は五席で良いと言う。

以前、酒の席で「なんで昇格蹴ったんだ?」と弓親聞いたら、「五の字が好きだから」という良く分からない(だが如何にも弓親らしい)答えが返ってきて、一角は納得しつつも、やはり変な男だと思った。

「だったら俺は『らっきー・せぶん』とかいうヤツが似合うかもしれん」と縁起担ぎを考えていると、「世の中で『三』の字が一番美しいんだから、君はそれで良いんだよ」と、また彼は弓親語で応じた。

じゃあ、何でおまえがならねぇんだ?

そんな素朴な疑問が思い浮かび

「俺に遠慮することねぇンだぜ。『四』をスッ飛ばして『三』席狙ってみるか?」

久々に斬(や)るか?と手合わせに誘ってみても、弓親は思考の読めないアルカイク・スマイルであっさりと鉾先を躱してしまう。

「『三』の字が一番似合うのは、君だよ。だから三席は君がなるべきなのさ」

彼の話す言葉は女達の使う言葉よりも抽象的で、途方も無く漠然としている。

だが、奇妙な力強さを持っていた。

やはり自分の親友は変人だ。

いや、宇宙人だ。

「……さっぱりわからん……」

一角は眉をへの字に曲げて、眉間に大量の皺を寄せた。

そんな一角の頭がパンクする前に、弓親は今度は声をあげて笑い出す。

「あははっ、あんまり深く考えないでよ。一角には難しすぎたね」

「おい……おまえ、俺のこと馬鹿だと思ってるだろ…?」

胡乱げに問い掛けると、弓親は心底楽しそうに頷いた。

「一角はそこがいいんだよ」

「フォローになってねぇ!」

「ふふふ」

その笑顔が余りに楽しそうで、一角は怒る気もなくして、自分の剃りあげた頭を手持ちぶたさに撫でた。

「くそっ、腕が鈍っちまう」

「やっぱり、君が暴れたいだけなんじゃないか」

そういってまた笑った。

とりあえず彼が一角の事を気に入っているのだということだけは、それとなく伝わってきたので、一角は余り深く考えずに了解した。

それに、これ以上問い重ねても、弓親に旨くはぐらかされるだけだということは分かっていた。

人間関係の機微に関する物事をあからさまにハッキリ言うことは、彼の『美学』とやらに反するものらしいからだ。

だが、一角は思う。

要は、弓親は照れているのだろう、と。

 

 

「一角、霊圧に張りがないよ。みっともない」

「イテッ」

ぼけっと突っ立ていた自分の後頭部をぱしんと殴り、弓親は独創的なヘンテコ眉毛を歪めて意地悪気に笑った。

「で、君は何なのさ。その書類……、もしかして、まだ午前のノルマが終わってないわけ?」

「言うな…」

その意地の悪い問い掛けに、一角は髪の無い自分の頭をペタリと叩き、疲れたような声を出した。

「うちン中でマトモに書類を捌ける席官なんざ、俺とお前と荒巻ぐれぇなもんなんだぜ」

隊長は元来ああいう人だから期待はしていないが、副隊長にいたっては平仮名を書けるかどうかも怪しいもので、平隊員は誤字脱字の嵐。

「それに俺だってこの手の事は得意ってわけじゃねぇし」

あ〜、虚(ザコ)でもいいから俺も戦いてェ!と物騒な言葉を叫び、一角はグッと大きく腕を広げて延びをした。

 

 

***

 

 

自分の親友が獲物を求める狼のような顔をして空を眺めるのを、弓親は眩しそうに見つめた。

彼は、人の姿をした、人の心を持った獣だ。

十一番隊にいるものは皆、強さに餓えた獣だった。

敵味方含めて、数多流してきた血の色を纏う彼らの姿を、弓親は何より美しいと思っていた。

血こそ命だと思っているからだ。

命そのものである血が空を舞い、大地に散る渦中で生き、正義や善や公平やその他諸々の概念等を片端から吹き飛ばし、ただ己の強さを証明することに命を掛ける。

それは酷く野蛮で、獰猛で、シンプルで、だが、目眩がするほど美しかった。

姿形でなく、その圧倒的な強さが。

だから弓親は、彼らを愛していた。

その中に自分が立っていることを、隊長や副隊長、そして親友である一角を支えられる立場にいること、誇りに思っていた。

『五』という字は『三』の字に似ているだけでなく、まるで『三』の字を支えることによって出来ているようにも見えた。

だからこそ弓親は、自分は『五』の字で在りたいと思っているのだ。

一角に言えば、きっと豪快に笑われるか大真面目に照れられるかのどちらかだろうが、そんな恥ずかしい真似は死んだって御免だった。

決して口にはしない答えを、弓親は胸に刻む。

「十一番隊が一番、空の青が似合うから」

 

 

彼らには青空が似合う。

それは、誰よりも血の赤さを知っているからだろう。

 

 

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